モーリタニアからセネガルへ – ロッソ国境越えの悪夢

連発するクランクションと人々の罵声にも似た騒めき。小さなフェリーからはみ出しそうな大型トレーラーが乗り込むと船体が大きく傾き、ルーフに大量の物資を括り付けた乗合バスは今にもひっくり返りそうだ。銃武装した役人が目を光らる緊張感と、クルマ、ヒト、モノの不協和音が交錯する「ロッソ」は、モーリタニアとセネガルを隔てるセネガル川を簡素なフェリーで渡る国境の町だ。

 

何度も国境越えを経験している横田監督の心境も、途中の検問所でポリスに聞いた情報でも「ロッソ国境越えは時間が掛かるし注意が必要」で一致している。多少の出費は覚悟してでも、出来る限り短時間でスムーズに通過する事だけを考えて国境へ向かった。

 

モーリタニア側の対応は驚くほど寛容で、あっという間に出国手続きが完了、1時間も掛からずにフェリーに搭乗する事が出来た。長さ20mほどの平船に乗り降りするゲートが付いただけの簡素なフェリーはプリウスPHVとランクル100を乗せてセネガル川へ漕ぎ出す。フェリーの周りには人や物を積み込んだ船外機の付いた小さな木造船が忙しなく行き来している。数分後、セネガル側へ接岸し、あっという間に国境越えが完了、この時はそう確信していた。

 

モーリタニアからセネガルへ渡る行列へ並ぶ。

 

フェリー乗り場隣の船着場には人だけを運ぶ木造船が待機している。

 

フェリーに乗り込むプリウスPHV。

 

数分でセネガル側へ接岸する。

 

フェリーの周りには人を運ぶ木造船が行き来している。

 

セネガル側も人や物資で混沌としている。

 

セネガルへの入国手続きを済ませて次の目的地サン・ルイへ早めに到着出来ると思いきや、ここから役人・仲介人との長時間のやりとりが始まった。両替を強要されたり、待ち時間に食事を勧められたり、勝手に洗車されて賃金を要求してきたり、出来るだけ金を落とすように仕向けてくるが、これは想定の範囲内。何しろ早くここを出発したい。ようやく入国用の書類が揃うまでに4時間も要した。

 

早々に書類をもらってゲートを出ようとすると、またもやSTOPが掛かった。セネガルを走行するためにはブラウンカード(強制自動車保険)が必要だが、プリウスPHVはすぐに契約できたものの、ランクル100は登録後8年以上経過しているため、契約額がわからないので、別な場所(サン・ルイ)の役所に問い合わせてから書類を作成しなければ契約出来ないと言い出した。しかも、今日は日曜日で役所が休みなので、ここで明日まで待機してくれという爆弾発言が飛び出した。

 

一度はここで夜明かしを覚悟したが、入国ゲートが閉鎖される時刻が迫ると、賄賂を要求してきた。“本音はこれか!” 金額を聞くと払えない額ではないし、治安のよく無いイミグレーションの駐車場で夜明かしする事を考えると、すぐにスタートするのが懸命と考え、しぶしぶ支払ってようやく解放された。ゲートを潜ってメーンルートに入っても仲介人のクルマが纏わりつくように数キロ付いて来たが、しばらくして姿が見えなくなった。時刻は21時を回っている。やれやれ、である。何はともあれ、とっぷりと暮れた23時、サン・ルイの宿泊先に到着した。

 

夜遅くまで人影が絶えない国境周辺。

 


ダフラの検問所で「日本の方ですか?」と“日本語”で声を掛けてきたのが、ドイツから来たというヤンさん。流暢な日本語は日本人の奥様直伝と聞いて納得。カスタムキャンパー仕様のランクルを駆って、ひとりでドイツからここまで冒険してきたツワモノだ。お互いの予定を聞いて、ヌアクショット辺りでまた会えるかも知れませんね、と言って別れたが、サン・ルイのホテル駐車場で特徴的なランクルを発見!会える事を願って、近くでランチをしていると、ヤンさんが現れた。

 

我々と同じように、ロッソ国境越えでは時間と費用が嵩んだと嘆いていた。もしもここを渡る予定のある方は注意すべし。

 

長年アフリカをはじめとする世界各国を旅した経験から作ったというランクルは質実剛健。シンプルだが基本とツボを心得た完成度の高い一台だ。

 

奥様が日本人だというヤンさんは京都に住まいを設けたとの事。再会を願って全員で記念撮影した。

 

モーリタニア – セネガル国境フェリーで渡るプリウスPHV

 

旅もいよいよ完結間近。無事にゴールできるよう細心の注意を払ってダカールを目指します。