国境を越えて。ダフラ〜ヌアディブ

「ダフラの宿泊先は、多少高くても安全なところにしよう。」幾度となく訪れている横田監督が陰湿で危険を孕んだこの町を警戒しての指示だ。敷地内にクルマを停められて、全員が一緒に過ごせる共有リビングにベッドルームが連結したアパートホテルを予約した。町の中心部から少し離れているのもこちらの希望に敵っている。

 

ダフラの町へは、メーンルートから分岐して砂州が発達してできた半島方面に向かう。「悪名高きダフラ」が目の前に迫って来た。町へ入るコントロールで検問を受けて進むと、新しく出来たと思しき片側3車線、太陽光発電の街灯が延々と続く大通りに出た。予想していた物売りも、ゴミの散乱もなく整然として美しい町といった印象だ。

 

ふと海辺に目をやると美しい湾を埋め尽くすようにカラフルな「カイト・サーフィン」や「ウインド・サーフィン」「ジェットスキー」など数千という単位でマリンスポーツを謳歌する姿が見える。現実か?幻か?宿泊先も若者向けの小綺麗な佇まいだし、買い出しに出掛けた町の中心部は現代風のブティックやスーパーマーケットが軒を連ねている。17年の時間はダフラの町を劇的に好転させていた。

 

西海岸ダフラの砂丘を濃霧が包む。

 

早朝、ダフラの町を後にメーンルートに戻る途中、30分ほど濃霧に包まれた。砂漠は確かに降水量は極めて少ないが、湿度は必ずしも低いとは限らない。サハラに限らず、特に海岸が近い砂漠には朝方こうした霧が発生する事が多く、驚くほど多くの生物が棲んでいるのだ。

 

メーンルートも程度の良い舗装路が続き、たくさんの大型トレーラーが走っている。物流の活性化に伴い、道路整備に費用が割り当てられたのだろうか。時々、舗装が剥がれた穴があるのを注意すれば、ハイペースで移動できるのはありがたい。徐々に道路脇まで砂丘が迫る景観を楽しみながら約400km先にある国境の町ヌアディブを目指す。

 

コンディションの良い舗装路が続くが、砂に埋もれた箇所には注意が必要だ。

 

海岸線は30〜50mの崖になっており、釣漁師はこの仮住まいから竿を出して釣果を狙う。

 

道路ができる前のキャラバンはどれほど過酷なものだったのか、そんな情景が続く。

 

モーリタニアへ入る前に給油し、モロッコDHで支払って使い切る。

 

国境側のガソリンスタンドに「Team ACP」のステッカーを貼った。もしも訪問する方はチェックだ。

 

出国手続きの車列に並ぶ。

 

ここから多くのチェックを経て、モロッコ(西サハラ)出国。その後、モーリタニア側で、ビザ発給手続き、保険契約など、たくさんの項目をパスして越境完了となる。(手続きの様子は公開不可)

 

 

モーリタニア側のイミグレーションにはためく国旗。

 

国境の町ヌアディブ。モロッコ(西サハラ)側とは明らかに違う経済・文化の社会だとわかる。

 

建物の色使いや衣類、クルマ。全てがアバウトな感じ。

 

物語に出て来そうな風態の男性。こんな人がたくさん歩いている。

 

陰湿な漁村ダフラは一大マリンリゾートに転身を遂げていた。

 


メンバーズボイス

ETHICAL CRUISE パリ- ダカール モーリタニア国境を越えた今、思う事は?

 

横田 紀一郎 Kiichiro Yokota

「褐色の夢」それは突然わたしの脳裏を覆っていた。ひょんなキッカケで始めた1日1万歩をテクテク歩くかなりマイナーことをやっていた。ところが「まさかの4年を迎えた日」親友から1通のメールが届いた、新聞広告に映し出されたパリダカールラリーを闘う自分の姿だった。そのタイトルに挑戦とある。それを見てカラダじゅうの血液が逆流するほど興奮した。この数年守りにはいった自分に愕然とした。そうだ喜寿を迎えた今こそ、挑戦しよう。そのときから褐色の夢を追って、今日を夢を見てきた。明日はセネガル川を渡る、夢が現実になるのがこんなに切ないこととはしらなかった。


山口 圭司 Keiji Yamaguchi

砂丘に腰を下ろし、じりじりと肌を焦がす強烈な日差しを浴びている。この奇跡のような一瞬を持ち帰えろうと、ぎゅっと握り締めるが、力を込めるたびに指の隙間から溢れ落ちて行く。Team ACPのルーツ“サハラ砂漠”は、ここに来なければ分からない事で満ち溢れている。


高橋 国人 Kunito Takahashi

マシンとメンバー共にトラブル無くモーリタニアまで来れたのでほっとしています。前半、想定外に雨が多く、長距離も続いたため気分も落ち込みましたが、サハラに入ってからは、天候に連動するかの様に晴天になりました。残りダカールのゴールまで気を抜かず、頑張りたいと思います。


三角 武史 Takeshi Misumi

17年前、突然サハラ第3ルートを辿る話しがあり冒険心いっぱいだったあの頃、生まれたばかりの子供を残しかみさんに頭を下げて通過した同じルート、アトラス山脈越えのトレーラーの数の多さに驚き、モーリタニア入国時の国境越え、今でも忘れない手に汗握った緊張感のあった地雷源も見る影も無く、唯一残ってた石畳の道、海岸線、ガイド同乗のピステは何処に、しかし時代は変わりアフリカ全土の繁栄いわいる物流の変化は全てどこまでも続く舗装路おかげだと言うを強く感じた。


小川 博行 Hiroyuki Ogawa

パリダカールラリーの憧れと夢が、今消えかけている。サビーヌが、横田紀一郎が愛したパリダカが。競技と同様のコースをたどり憧れであり、同様の距離を走り辿り着いたモーリタニアまでの行程の中でのその行での人々の暮らしが私の夢を啄ばみ、憧れを揉み消そうとしている。人びとは皆パリダカを知っているが、それ以上のものでないように思われる。モロッコまでは感じていなかったものが西サハラ、モーリタニアに入るとより強く感じてしまったのだから。パリダカールラリーは憧れであり夢であった。


西條 徹也 Tetsuya Saijyo

コンコルド広場からシャンゼリゼを抜け、凱旋門をスタートした時、今では信じられないほどの吹雪。スペインを通過して南下するに従ってモロッコから西サハラと気温はグングン上昇し、日中の気温は42℃。サハラ砂漠らしいお天気です。旅はいよいよ終盤、毎日、心地よい疲労感を感じながら最後までSAHARAを満喫したいと思います。


谷 和日子 Kazuhiko Tani

2001年に横田さん率いるACPのパリダカール間のアフリカ西海岸縦断に2000年にヨーロッパで発売したプリウスで通訳として参加した。当時はモロッコ政府の(西サハラ通行特別許可証)をダクラで取得し火木曜日の週2回出発するモロッコ軍のコンボイで参加した。今回は西サハラを完全に支配下に置いたモロッコ軍のエスコートなしに毎日モーリタニアに入国できる様になった。モーリタニア国内では首都ヌアクショットまで完全舗装道路が続き大型トレーラーの往きかい、通行量も格段に増えている。モーリタニアはアフリカ西海岸諸国の大動脈となっている。